こんにちは、今日は2021年2月14日。
最近SparkleのTwitterをはじめました。
日本には日本独自の季節を捉える暦があり、72候といいますが、
5日ごとに自然界がどのように変化するかを美しく短い言葉で告げてくれるものです。
私の試みは72候×資質予報。
例えば、春一番は風が強いからコミュニケーション上位の人はチュッパチャプスを口に入れておこうとかw
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72候は、昔の日本人の自然界に対する畏怖や美意識というのが私にとっては「ちょうど良い長さ」で表されていて、とても好きなんですよね。
72候はだいたい4文字熟語のような漢字が並び、読み方としては漢文のように読みますので、実際言葉にするとちょっと長めになります。
例えば、「東風解凍」は「はるかぜこおりをとく」です。
数字で表される暦はグローバルでわかりやすく効率的です。
それはそれで、効率重視の現代社会には本当に便利で大事なツールですね。
2月3日と「はるかぜこおりをとく」は同じ時点を指していますが、全く捉え方が変わると思いませんか?
こういう例えをもってきたのは、
「名前」と「名前をつけられた対象物」との関係性を今日は語りたいと思います。
物事を説明する「名前」というのは便利なんですが、
名前に頼りすぎると、私の5番目の資質、「内省」がそう思わせるのか、
「『それ』は本当に『そのよう』なのか?」
という不安が沸いてくるんですね。
例えば「リンゴ」に「バナナ」と名前をつけて、
「今日からこの赤い丸い果物はバナナだよ」と誰か偉い人に言われて
「はーい」と従うような感覚です。
・・そんな恐ろしい世界は夢であってほしい・・
安易に名前をつけてしまったら、本当の性質が見えなくなってしまうんじゃないか。
だからできるだけ「名前をつけたくない病」というのが私にはありますw。
先日「ゲド戦記1 影との戦い」の読書会に参加しました。
この話も「名前」にまつわる深い世界観が描かれていて、好きです。
「ゲド戦記」の世界では、物や人の本当の名前を知ることは、それを支配する力を持つことである、
とされ、本当の名前は親しい友人とだけ共有されることになっています。
興味深いのは、最後の章。
ゲドは若気の至りで強大で邪悪な『影』を世に放ってしまいますが、『影』と対峙するために世界のはての海でとうとう影を追い詰めます。
しかしゲドは『影』の名前を知らず、名前を知らなければ相手に術をかけることができません。
ところが最後の最後に影と対面するシーンで、ゲドはその『影』と同時に同じ名前を叫びます。
「ゲド!」
そう呼び合うと、「光と闇は出会い、溶けあって、ひとつになった。」
ゲドは「己を全きもの」とします。
つまり、この話の大部分は本当のゲドじゃないんですね。ゲドはゲドでも欠けているゲド。
そう考えると
自分が自分に対する理解や自己認識、他者がある人を理解するためのツールとして「名前」は必須ではあるものの、
名前=必ずしもその人を表すものではないかもしれない、ってことですね。
これって上位資質に対する理解や使い方にも通ずるところがあるように思います。
ちょっと長くなってしまったので、今回はここまでにして、後編は次回につなげます。
長文お読みいただきありがとうございました!
