こんにちは、何かと新学期、新年度のソワソワする時期ですね。
そんな私もソワソワしながらブログ書きます。
さて、今日は名前に関するお話の続きですね。
(前編はこちら)
前回、そう簡単に名前をつけたくないというお話をしたんですが、少しフォローをしておくと、
私の相方は『コミュニケーション×個別化』でとっても名前をつけるのが上手です。
私は「多次元組織文化アーティスト」なる称号をもらい、まんざらでもありませんw
何というか、その名前をつけてくれる愛情溢れるプロセスにいつも感動するのですよね。
名前って、自分以外の誰かから頂く場合、大事なギフトなんですね。
自分が自分につける場合でも、自分へのギフト、とも考えられるかもしれません。
ところで皆さんは、ストレングスファインダーを受検して、初めてTOP5の資質を見たとき、どんな気持ちになりましたか?
ストレングスも他者から頂く自分を表す別名だとすると、皆さんはそこにどんな意味を見ましたか?
上位資質は、世の中の属性を組み合わせることと同じだと思うので、例えば、
男性×60代×一部上場企業役員×長男×趣味ゴルフ
こういうことと同じかと思います。
さあ、皆さんはこの5つの掛け合わせでどんな人をプロファイルしますかぁ?w
え?なになに・・・
お金持ってそう? はい、そうねw
偉そう? うんそうかもね・・、
特権階級だ、 なるほど、
なんかむかつく、 www
いやいや、むかつくって!w(実際この属性の方が読んでおられたらすみません!汗・・)
いや、でも皆さんなんとなくこれらのプロファイルは当たらずとも遠からず、のイメージを持ったのではないかと思います。
実際の人が出てきてないのに、ここまでイメージが沸くのってなんなんでしょうか。
だって実際にはものすごい、紳士でかっこよくて、いつも部下のことを考えてくれる素敵なおじさまであることもありえますよね。
同様に、ストレングスの上位資質がイメージするものと、実際の自己認識や他者認識が全然違う、ってこともあります。
私も実際、初めて「1位戦略性」というのを見たときに「ん?なんじゃこりゃ、こんなに私は頭よさげではないぞー!」と
思いました。
その時に私に起こった思考プロセスとしては、
「戦略性=頭よさげ=私は違う」でした。
ところが、ストレングスを扱う時間が増えるほど、
「なるほど、戦略性は確かに私のつよみだなぁ」となり、
ついには「私は戦略性だ!」となりました。(今は違いますが)
この上位資質と自分というものへの認識の距離感は、自分の柔軟性を保つためには
とっても大事なカギなんじゃないかと思うんですね。
ちょっと話が変わるかもですが、スタンフォード大学の監獄実験というのをご存知でしょうか?
これは、心身ともに健康な21人の学生を集めて被験者として、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせる、と言う実験でした。
その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになり、より行動がエスカレートした結果、実験自体が中止になった、というものでした。
この実験から、人は、与えられた役割(名前)にふさわしい行動を取るようになる、ということです。
同様に、ストレングスの資質も、一つまたは資質の掛け合わせによるイメージや資質の性質に、いつの間にか自分が寄せていってしまう危険がある、ということなんです。
たまに聞くフレーズがあります。例えば、
「私は戦略性だからどうせ腹黒いのよ」とか。
「私はしょせん調和性だから意見を出せないのよね」とか。
これって資質と自分がイコールになるほど接近してしまって、あたかも「いつでも」その資質の十字架を背負わなければいけないように、
自分に呪いをかけてしまう、とても怖い言葉だと思っています。
前出の男性の例も、本当に偉そうで、特権階級を振りかざして、何か鼻持ちならない人がこの属性の人に多いのだとすると、その属性が発するイメージから、そういった人を作り出しているとも考えられます。
前編で触れた、ゲド戦記の著者、ル・グィンの架空の世界では、
『物や人の本当の名前を知ることは、それを支配する力を持つことである』
らしいのですが、私たちは通常、たくさんの性質を持っています。
戦略性が上位だからって、打算無く人に優しい日があってもいいじゃない。
調和性が上位だからって、たまには人前で怒ってもいいじゃない。
どれも愛しいあなただよ!
人間はこの瞬間も進化しています。
たまには、資質から来る自己認識に縛られない自分を楽しんで、
思い切り手足を伸ばすことも、新しい発見の一つになると思いますよ。
ではまた~。
